2012年6月23日土曜日

カーテン






カーテン
1 窓を覆ったり、室内・屋内の空間を仕切ったりするためにつるす布。窓掛け。 2 舞台の幕。 3 お互いの交流・交通を遮る物。「鉄の―」
(goo辞書より引用)


今日ふと大学から見える外のオフィスを眺めていた。そこで気づいたことはオフィスにはカーテンがないということだ。最近の洋風の家にはカーテンがある。しかし、よく考えるとカーテンのあるオフィスは存在しない。


カーテンの役割は何だろう。
カーテンは日中は開けておくが、夜になると閉める。窓とは違う役割があるのだ。
それは目隠しという役割だ。外から中が見えないように覆っている。


だからオフィスにはカーテンがない。
情報開示が企業には求められ、カーテンは不要なのだ。
昨年の3.11による原発事故、オリンパス、AIJなどの多くの企業の不祥事の後から、オープンネスが重要視されている。


企業というのは、パブリックなもので、オープンであるべきだ。
一方で、私たち人間というのは、公私両方がある存在で、すべてを企業のようにオープンにする必要はない。


こんなことを考えていたら、おじさんのよく話す「化粧」の説教の話を思い浮かべた。電車の中で化粧する人が増えている中で、「恥ずかしくないのか!」と怒っているのである。そんなことを言われたら、女性としては「じゃあ君たちも下品な新聞を電車の中で堂々と読まないでほしい」と怒りたくなる。
しかし、この2つの言い分はどちらも「パブリックとプライベートを区別してほしい」と要求していることに他ならない。


つまり、このような話が起こるということは、最近の人間はカーテンを持たず、常に開きっ放しの企業のような存在になりつつあるということだ。


嘘をつかない誠実さ、というのは人間としても大切だ。しかし、何もかもをオープンにすること、カーテンを持たず、公私を混同してしまうことはいいことなのだろうか。


今、世界がbusinessという方向に流れ、マネーによって世界が動いている。ビジネスを学ぶ私たちには持ってこいの時代である。
しかし、この世界のビジネス化が企業と自分という人間の境目をわからなくさせていると思う。マネーやビジネスはあくまでも、私たちの生活するためのツールであり、プレーヤーだ。自分たちがその中に入って駒の一つとして動いてはいけない。


パブリックとプライベートを区別する。
人間が人間としての尊厳を失わないためにも、
心の中にカーテンを持とう。



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